2007/12/19

編集部が見た「総理の娘」

本誌好評連載中の「総理の娘」。<竹下登の娘 金丸一子>シリーズも、いよいよ大詰めを迎え、次号がシリーズ最終回となっています。娘が見届けた竹下登の晩年とは!?その内容は、1月7日発売のリベラルタイム2008年2月号でお楽しみに!……ということで、今日は本誌では掲載されなかった、竹下家のエピソードを披露したいと思います。

連載からも滲み出ているように、金丸一子さんは本当にユニークな方で、父・竹下登氏との思い出を、ユーモアたっぷりに語ってくれました。聞き手を引きつける話上手なところは、政治家の血でしょうか。同じ「総理の娘」である田中眞紀子さんの舌鋒鋭い話術とは、また異なる魅力を感じさせます。
筆者の岩見隆夫氏は、一度目の取材後、甲府駅へ向かうタクシーの中で「話がおもしろすぎて、前に進まんな」と笑っていました。この日の取材は、一子さんの現況と幼少期の話で終わり、金丸康信氏との結婚エピソードまでいかなかったのです。

さて、そんな一子さんの父親追想の中で、私が印象に残ったのは、「ステテコ踊り」と「竹下夫婦像」でした。
「ステテコ踊り」というのは、一子さんが幼いころ、竹下氏がしばしば家族の前で、ステテコ姿で「白鳥の湖」を歌い踊ったという話です。踊るといっても、大層なものではなく、本人は気分のよい時に、つま先を立て手を挙げピョコピョコと跳ねていたそうです。
「酒が入った時だけ、というわけでもないんです。宴会で踊ることはなかったと思います。ただ、家でお客様がいても、酒が入ると踊ることがありました」
と一子さんは、元総理の思わぬ一面を語りました。家庭で見せる総理の素顔、というのは、この連載で度々語られてきましたが、これほどあけすけなエピソードはなかなかありません。永田町で繰り広げられた根回しと人心掌握術で、「気遣いの竹下」「キングメーカー」等と呼ばれ、政界に影響力を持ち続けた大物政治家の、愛嬌と茶目っ気のある横顔です。

竹下夫人・直子さんは、3歳年上で早稲田大学の学生だった竹下氏と、戦後間もない46年に19歳で結婚してから、常に家庭を支えてきた女性です。「結婚した時は、(竹下の実家が営む)酒屋に嫁いだつもりだった」という直子さんですが、ときには週刊誌等の取材にも応えることで、政治家の夫を引き立ててきました。
一子さんに、竹下夫妻はどんな夫婦でしたかと訊ねました。
「妹たちにいわせると、ママはずっとパパに恋しているっていってました。母にいわせると、自分が(夫より)先に逝くものだと思っていたそうです。母は全く父を頼っていました。父は、子どもたちを自立させるよう育てたわりに、妻を自立させてなかったのかもしれません」
いま80歳を超える直子夫人は、都内にある二女の家の近くに住んでいます。
「世間と同じで、身近な人は何回顔を出しても感謝されなくて、私みたいにときどき行く者のほうが感謝されますので、妹には悪いですね」
と笑う一子さん。温かな家族をつくった、家庭人としての竹下登の魅力が偲ばれます。
posted by リベラルタイム at 10:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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