デスクの主な役割は原稿へのダメ出し
と書くと、「エラそうに」という、侮蔑とも賞賛ともつかぬ声が聞こえてきそうです。自分が一介の編集者・記者だったころは、わたしはデスクに対して「エラそうに」の前にさらに「何を」という言葉をつけていました。「何をエラそうに」。
いま自分がそういわれる立場になり、感慨深いものがあります
小誌は「ビジネス誌」を謳っております。しかし、読んでいただければおわかりになるとおり、明らかにビジネス誌の範疇を超えた記事もあるのが、小誌の特徴のひとつです
たとえば、芹沢俊介さんの『父論』。芹沢さんは『 殺し殺されることの彼方ーー少年犯罪ダイアローグ』(雲母書房)『家族という暴力』(春秋社)等、「家族」をテーマに据えた意欲的なルポルタージュ等を執筆されている社会評論家ですが、その芹沢さんに「父とは何者か」をテーマに、さまざまな角度から論じていただいているのが、本連載です。
かのボーボワールは「女に生まれるのではなく女になるのだ」という名言を残しました。これに倣えば、子を授かり、生む女性は生まれながらにして「母」になり得る運命を背負ってますが、男は「父になるのだ」という自覚が必要な存在なのではないでしょうか。でも、そもそも「父」って何? というのが、本連載を始めたかった理由の一つでした。
「雷オヤジ
いま、父の存在感が軽くなってきたのは、社会のルールそのものが崩壊しつつある象徴なのかもしれません。でも、一方で「父」なる存在が消えてしまうわけではありません。今日的視点から、解体された「父像」を再構築しようというのが本連載の狙いともいえます。
「エラそう」ではなく、説教臭さも微塵もない芹沢さんの筆致もあり、痛く共感している連載です。どこにつながっているのか、出口のない螺旋階段を、ためらい、逡巡し、それでも一段づつ昇っていこうという意思こそが、「父」なる存在を支えるつっかえ棒なのかもしれないな、との思いを深くしています。
さて年末年始は、風呂掃除
お楽しみの朝酒は、元旦だけにしました。ゴロゴロなんてしてません。お屠蘇がわりに缶ビール
こうした家事労働の賜物でしょうか、体重が減ったのか、休み明けにスボンをはくと、ちょっぴり緩くなりました。正月休み中に風邪をひき、未だに治っていないのは、疲労のせいではありません。
休み中の「それでも、あきらめない」を貫き通したわたしの姿勢は、きっと子どもたちの心に何かを響かせたのではないかと確信しています。ちょっぴり、子どもたちがわたしを見る目にも、変化があったように感じます。やや、哀れみを帯びているのが、気になるところではありますが。トホホ
(ジチョー)
